純粋な保育園児は、大人から見ればヤバい子どもだった。
2回目の投稿がまさかの半年後・・・・!
いろいろすみません。
学生のうちに時間がなくて何が学生だって感じですよね。
今日は、私のかわいいかわいい保育園時代のお話です。
あれ?学校の話じゃないじゃん、という方。
面白おかしいので暇つぶしに聞いてください☆彡
私は、保育園でも浮いた子どもでした。
周りの子が楽しんでいる遊びが、私にとっては理解しがたいことが多かったです。
それ以上に、保育士の先生も、私のことは理解しがたかったようで、、、
それを象徴する出来事はたくさんあるんですが、
最年長だった時の音楽会でその出来事は起こりました。
保育園って、けっこう狭いんですよね。
音楽会なんて、1つの部屋に父兄と園児が詰め込まれるので、すごく狭いです。
舞台なんてなくて、普段使っている部屋の中で一番広い部屋を簡易式の舞台と観客席を作っている状態なんですね。
観客席は、床に座って、すし詰め状態。
舞台もぎりぎりまで狭くしていました。
鉄琴(グロッケン)を担当していた私は、最前列の端っこで、壁に接しているような位置にいました。
6歳児がみんな舞台に上がって楽器があって、とても狭いのは仕方ないんですが、
大太鼓の設置が、なぜか最後になって、園児がいる隙間を縫って女性が一人で運びました。
私のすぐ後ろの列だったので、危ないと思ったのですが、端っこなのでよけられなくて、
私の顔に大太鼓は直撃。
先生は大太鼓を持っていて前を見れてないので全く気づきませんでしたが・・・
すごく痛かったけど、雰囲気的に「いたああーい(泣)」ってやっていい感じじゃなかったので、我慢して何もなかったよって顔でいました。
でもすごく痛くて、痛すぎて感覚がないくらいの域で、
一生懸命練習したのに、全然集中できなかったんですね。
途中、曲が中盤になったところでおかしいなと思い始めました。
目の前に座っている大人の、全然知らない人が私の顔をずっと見ているんですね。
よく見たら、何人も私の顔を見ていて、私の顔って何か変?って気になったので、
曲が休みのタイミングで触ってみました。
血がべったり手につきました。
そのままもう一度バチを持っても握れない。握るとやばいぞってくらいついてたんですね。
とりあえず服で拭いたら、けっこう目立つ感じになったけど、端だったんで目の前の人たち以外は気づかなかった感じです。
遅れながら、演奏を再開して、「血が出てるんだ、みんなが気持ち悪がっているかもしれない」とビビりながら終わりました。
保育園最後の音楽会ってことで、号泣していた父兄もいましたが、
私は血のことしか頭になかったです(笑)
終わって退場する時は、端から移動する時に血が目立つかもと思って、髪でかくして妙にコソコソと退場(笑)
そして、手当をしないと、と思ったので
先生の所に行って「ばんそうこうありますか」って言いました。
その瞬間、先生の顔が青ざめて「え!なんで!?」と言われて、「いやいや、あんたらのせいだろ」と思うか思わないかの時に視界が反転しました。
抱きかかえて運んでくれたんですね。
6歳の割には体が大きかったので、ちょっと苦しそうで、申し訳なかったです。
その後、止血して、ガーゼ貼って。
でも、血が止まらないので、すぐガーゼが真っ赤になっていました。何回も貼り換えるうちに、「何回やっても一緒だよ」という話になり、
真っ赤なでかいガーゼを張り付けたまま過ごしました。
運動会ならまだしも、音楽会なのに、目の上だけ試合後のボクサーみたいな風貌でした(笑)
他のグループの出し物があったので、会場に戻って見終わったのですが、
みんなで一斉に解散していくときに、保育士が3人かたまっているのに目が行きました。
目があったので「なんだろう?」と思いながらも、バツが悪そうにしているので目をそらしました。
地獄耳なので聞こえてしまったんですけど
「ねえねえ、今だよ。謝った方がいいよ。」
「え、どうしよう。怖いよお。(泣)」
怖くて謝れない、そういってせいぜい2~3年目の先生が泣いてました(笑)
その時は耳を疑いましたが、どうやら私は、保育園中の先生から怖がられていたようなんです。
年中、年長と続けて同じ先生のクラスでしたが、その先生以外は誰も、私に話しかけてくる人はいなかったなあと後で気づきました。
音楽会の帰りに、園長先生が直々に謝りに来てくださった時に
「こういう時は思い切り泣いていいんだよ」みたいなことを言ってくださったのが印象的で・・・・
そのあとすぐに母が、「あんたはなんですぐ言わないの。こんな大事になって」と言ってました。
え?私のせい?ってツッコミたかったけど止めました。
大の大人が、6歳児が怖いなんて、そんなことあるのかと思いましたが、
自分が20歳を過ぎて、「20歳ってこんなもんなんだ」って思いました。
やっぱりその立場になってみないとわからないですね。って、思うようにしてます。
学校に行くことが苦痛だと思っている子どもたちに伝えたい話たち
保育園も、小学校も、中学校も、高校も、大学も苦痛だった。
だれも私の苦しみなんてわからないって思ってた。
保育園では自殺の練習、
小学生の時は6歳下の妹に殺意を抱く。
中学校ではスクールカーストといじめに苦しみ、
高校では受験戦争と親の離婚とひきこもり、
大学では男性恐怖症(にわか)とひきこもり(ボーナスステージ)など、
ありがちな苦悩を人並みにしてきたつもりだ。
学校が嫌いだった。先生が嫌いだった。クラスメイトが嫌いだった。
家が嫌いだった。親から学んだ事は、
夫婦は人生最大の仮想敵国、家庭はこの世の最前線であるという現実だった。
今もこの卑屈病は完治していない。それでも、なんとか現役で大学に合格して留年せず卒業した。
大学を卒業して、今は大学院に通っている。
こんな私の情けない実体験が、学校に通ってつらい思いをしている皆さんの役に立てたらなーと思って、
このブログを始めることにした。
私が「学校」に対して抱いた疑問、不満を記憶の新しいうちに率直に綴ってみたいと思う。